太平洋戦争が終わって十年ほど経った頃、当時女性の文化人と呼ばれた人たちが、消息の分かる人を呼び集め、会合を開くうちに、雑誌を作ることになりました。そこで婦人運動家の神近市子が昭和十年から十二年まで発行していた商業誌「婦人文芸」の誌名使用の許可を得て、季刊として発行。昭和三十一年のことでした。
第一号の編集長は新居好子(リベラリストの文筆家で杉並区長になった新居格の娘。童話作家)でした。「婦人とペンと時代」という議題で十返肇、小山いと子、板垣直子、壷井栄、神近市子といった錚々たるメンバーによる座談会が載っています。
初期の頃は、会員の消息を知らせ合う随筆が多かったのですが、次第に文芸誌に移行。小説、シナリオ、詩、短歌などが寄せられるようになり、会員も、第一線のジャーナリストから、文学志向の強い女性に変わってきました。こうした変遷が物語るように、現在まで特定の指導者を持たず、特定の傾向に偏ることのない姿勢を貫き、代々の編集者、会員の熱意で今日まで続いています。
昭和五十五年に、会員だった長岡房枝(現特別会員)が、江川晴というペンネームで、第一回読売ヒューマン・ドキュメンタリー大賞に応募、「小児病棟」でみごと優秀賞を獲得しました。また、同賞第二十回(平成十年)では北山慈雨の「伴走夫婦」が入賞しました。
昭和五十八年には、永田陽子の詩集『残照』が、第十四回療養文芸賞を受賞。最近では、三鈴千代子の『海辺のべレットをさがして』(小峰書店)が第四十八回産経児童出版文化賞を、小山七々子の『四年生の頃』(沖積舎)が第五回私の物語・自分史大賞優秀賞を、それぞれ受賞しています。
この会から巣立った作家には前記江川晴のほかに、高森一栄子(「土踏まずの日記」・光文社の第八回エンタテインメント小説大賞受賞)、パチプロ小説の岡田安里(文園社『女流パチプロの優雅な日々』)などがいます。 近年は年一回から二回の発行になっています。
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